1858年、日本最大の鉱床のある岩手県釜石市の山深くに、盛岡藩士大島高任は、和蘭書に書かれた「大砲鋳造に適した銑鉄」の製造を目的として洋式高炉を建設。西洋科学の情報の乏しいわが国において、外国人技術者の手を借りずに、山の中で産声をあげた洋式高炉は、還元剤は木炭、送風動力は水車の、小さな高炉であった。地元で採掘された鉄鉱石を原料として、古来の製鉄知識に西洋科学を応用して、初出銑に成功した。高炉から溶けた鉄が流れだした。これまで毎回炉を解体して鉄を取り出していたたたら製鉄法から、炉を壊さずに連続出銑できる高炉法への転換に成功、良質の鉄を大量に生産する近代製鉄へと一歩を踏み出した。
田中製鐵所の誕生
1880年、明治政府は、鉄鉱石の資源のある釜石に、官営釜石製鉄所を開所した。製鉄所に先進的なイギリスの製鉄技術を導入し、大きな設備投資を行い、殖産興業の牽引力となる鉄の大量生産を目指した。だが西洋からの先進技術も、原燃料が異なるわが国では振るわず、また実際の銑鉄需要も未だ乏しく、官営釜石製鉄所は困難を極めた。封建社会から産業資本主義への劇的な変化と発展を、官民の密接な連携が支えた。1883年、官営釜石製鉄所は閉鎖し、民間の田中長兵衛に払い下げられ、釜石鉱山田中製鐵所として再出発を図った。田中長兵衛は、数多くの困難を克服し、鉄の国産化や漸増する民需にこたえ、製鐵所の立て直しに成功した。1894年、野呂景義等の尽力で、日本で初めて、コークスを還元剤とした高炉の稼働に成功し、日本立地でのコークス高炉の可能性を切り拓いた。
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橋野鉄鉱山
文化財指定: | 国指定史跡 |
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所在地: | 岩手県釜石市橋野町第2地割15 |
Tel: | 釜石市文化スポーツ部 世界遺産課 TEL:0193-22-8846 |
入場料 | 無料 |
開場時間 | 橋野高炉跡のみ常時公開。 採掘場と運搬路の公開はしていません。 |
休館日 | 年中無休(冬季は降雪のため見学が困難です) |
アクセス |
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駐車場 | 史跡手前駐車場:普通車8台(障がい者用含む) 橋野鉄鉱山インフォメーションセンター駐車場(徒歩2分):普通車86台、大型車9台 |
関連サイト | 釜石市ホームページ ※刊行物欄では橋野高炉跡パンフレットや市内近代産業遺産群について公開しています。 |